【西条昇のクレイジーキャッツ研究】中学生の時に植木等さんにお出ししたファンレターのご返信
昭和54年の正月、僕が14歳で中学2年の時に大好きだったクレイジーキャッツの植木等さんに年賀状兼ファンレターをお出ししたら、直筆で「学校の方がんばってね!」と一言添えてご返事を頂いた。
その後、僕が構成作家をしていた平成4年に植木等さんの夏のコンサート・ツアーの構成・演出をさせて頂き、ツアー後に差し上げたお礼の手紙に「中学生の頃からファンレターをお送りしていた植木さんとお仕事がご一緒できて感激しました」といったことを書いたら、次の打ち合わせでお会いした時に「西条昇という名前を見ているうちに、いつもファンレターをくれていた少年だって思い出しましたよ。あの時の少年が僕のショーの構成をしてくれたと思ったら何だか感動した」と、おっしゃって下さった。
植木さんとの年賀状のやりとりは植木さんが亡くなられるまで続き、必ず直筆で一言添えて下さっていた。
その後、僕が構成作家をしていた平成4年に植木等さんの夏のコンサート・ツアーの構成・演出をさせて頂き、ツアー後に差し上げたお礼の手紙に「中学生の頃からファンレターをお送りしていた植木さんとお仕事がご一緒できて感激しました」といったことを書いたら、次の打ち合わせでお会いした時に「西条昇という名前を見ているうちに、いつもファンレターをくれていた少年だって思い出しましたよ。あの時の少年が僕のショーの構成をしてくれたと思ったら何だか感動した」と、おっしゃって下さった。
植木さんとの年賀状のやりとりは植木さんが亡くなられるまで続き、必ず直筆で一言添えて下さっていた。