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【西条昇の軽演劇史研究】昭和28年のストリップ劇場のコメディアンと女優を紹介した内外タイムス記事 [軽演劇]

2021-09-26T18:00:14.jpg2021-09-26T18:00:14.jpg2021-09-26T18:00:14.jpg都内の各ストリップ劇場のトップ級のコメディアンと女優・踊り子との組み合わせを紹介した昭和28年11月の内外タイムスの短期連載〈笑いのカップル〉。
東洋興行が当時経営する三つの劇場からは、浅草ロック座が八波むと志と星清子。浅草フランス座がサトウサブローと美樹はる恵、新宿フランス座が阿部昇二と葉山るり子。
八波むと志のその後の脱線トリオから東宝ミュージカルスでの活躍は言うまでもなく、自動車事故による夭逝が惜しまれる。
サトウサブローはテレビで売れることはなかったが、幕内ではその実力を認められたコメディアンで、関敬六によれば渥美清もことあるごとに「サトウさん、どうしているかねえ」と言っていたそうだ。フランス座時代はアクト講座コントが得意で女性陣を舞台に並べて〝初夜の作法〟などをやっていたとか。
阿部昇二は小柄で張り倒される動きの切れ味が売り物だった。戦前の浅草オペラ館から戦後はロック座や新宿・浅草のフランス座で活躍。坂上二郎の師匠としても知られ、一時期は浅井企画に所属してコント55号の番組に良く出ていた。昭和50年代半ばから深見千三郎の代わって再び浅草フランス座の舞台に。僕は小学生時代に阿部昇二にファンレターを出してご返事をいただいている。

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【西条昇の軽演劇史研究】森繁久彌のロッパ一座の役者から満州のアナウンサーへの転身を報じた昭和14年の新聞記事 [軽演劇]

2021-09-26T11:35:59.jpg古川ロッパ一座にいた森繁久彌(当時の芸名は藤川一彦)が日本放送協会のアナウンサー試験を受けて合格し、満州電々会社アナウンサーとして新京に赴任したことを顔写真入りで報じた昭和14年4月の読売新聞の記事。
〈役者からアナに ロッパ一座の藤川が初の登場〉。
赴任先では満州巡業に来た古今亭志ん生と遭遇。志ん生の自伝には、森繁が宴席の余興として披露した芸を見て東京の寄席に出ることを勧めたと書かれている。

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