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【西条昇の映画史コレクション】明治30年代の駒田好洋一派大活動の絵葉書

2019-06-24T21:17:04.jpg手元にある、明治30年代の〈天上天下唯我独尊 頗る非常大博士 駒田好洋一派大活動の逸品〉観覧紀念絵葉書。
駒田好洋は19歳の時に新居商会からヴァイタスコープを譲り受けて自ら活弁家となり、「日本率先活動大写真会」としてアメリカ映画を興行して回り始めた。
「日本初の商業公開用の映画」の製作、「日本初の劇映画」の製作もこの人が行った。
〈頗る非常〉というのが駒田の活弁の時の定番フレーズで、自ら〈頗る非常大博士〉を名乗っていた。

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【西条昇の浅草映画コレクション】大正期の尾上松之助の主演映画チラシ

2019-06-24T20:00:18.jpg2019-06-24T20:00:18.jpg手元にある、大正9年(1920)の浅草・遊楽館での〝目玉の松ちゃん〟こと尾上松之助・主演「上泉伊勢守」のプログラム。
〈尾上松之助一派革新大活劇 妙技神に入る真影流の開祖 古今の英傑 上泉伊勢守と四天王の大活躍 塚原卜伝の羽黒山の怪僧 円海入道仇討、磯畑伴蔵の天狗飛切術、柳生但馬守、丸目蔵人、天下漫遊中の珍奇なる出来事等は観る者をして映画と思はしめざる程の豪快なる一大冩真なり〉との惹句を読んでいるだけで血湧き肉躍るワクワク感があるね。

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【西条昇の浅草映画コレクション】大正期の尾上松之助の主演映画チラシ

2019-06-24T15:17:02.jpg手元にある、大正8年(1919)の浅草・遊楽館での〝目玉の松ちゃん〟こと尾上松之助・主演「真庭念流の達人 武道の精華 樋口十郎左衛門」(日活)プログラム。
遊楽館は今のすき家や浅草大番会館の入ったビルとスマートボール三松館のところにあった映画館で、この当時は富士館と並んで松之助の主演映画専門館であった。
実演は、都櫻水一派による旧劇「三十六間堂櫻の精」と新派喜劇「神経質」(これ、面白そうだなあ)。
都櫻水は十二階演芸場で人気を博した後、遊楽館に移ってきていた。

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【西条昇の浅草映画史コレクション】尾上松之助の写真絵葉書

2019-06-24T15:06:03.jpg2019-06-24T15:06:03.jpg2019-06-24T15:06:03.jpg手元にある、大正10年に〝目玉の松ちゃん〟こと尾上松之助の主演映画専門館の浅草・富士館で公開された日活「丸橋忠彌」の写真絵葉書。
〝目玉の~〟と言われるほど目が大きい印象はないが、見る者を惹きつける存在感があるな。
当時は、同じ浅草六区の遊楽館も松之助の主演映画専門館であった。その凄まじい人気が偲ばれる。

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