【西条昇の女剣劇史コレクション】昭和28年の浅草・花月劇場での大江美智子一座の公演パンフ
手元にある、昭和28年2月の浅草・花月劇場での鈴鳳劇 大江美智子(二代目)一座の公演パンフ。
この時期の東京吉本は浅草の花月劇場を剣劇や女剣劇の専門劇場として、金井修、梅沢昇、不二洋子、大江美智子らの一座らを出演させていたが、とりわけ大江、次いで不二の出演が多かった。
昭和26年の夏頃から浅草六区では女剣劇ブームが起きていたのだ。
この時期の東京吉本は浅草の花月劇場を剣劇や女剣劇の専門劇場として、金井修、梅沢昇、不二洋子、大江美智子らの一座らを出演させていたが、とりわけ大江、次いで不二の出演が多かった。
昭和26年の夏頃から浅草六区では女剣劇ブームが起きていたのだ。
【西条昇のストリップ史コレクション】昭和28年の日本観光新聞のストリップ評「今週のかぶりつき」
手元にある、昭和28年(1953)3月20日の日本観光新聞の「今週のかぶきつき」欄での東劇バーレスクルーム公演評「狂人が狂女へ あらぬ振舞に」。
当時の内外タイムスのストリップ評は、僕もお話を伺ったことのある橋本与志夫さんが書かれていたが、日本観光新聞ではどなたが書いていたのかな。
〈観客もほとんど銀座マンのためか、浅草のような客との応酬もなく女の観客もチラリホラリ〉〈ここのコメディアンでは、水原欣一と森肇が傑作で中でも水原は小柄だが、なかなかのヨタリスト〉との記述が興味深い。〈ヨタリスト〉って、いいな。
松竹が経営していた東劇バーレスクルームの看板は何と言ってもジプシー・ローズで、ここでも写真と共に狂女役のジプシーと医者役の水原とのやりとりの様子が紹介されている。
ジプシー・ローズは、グラインドやバンプを売り物にしたストリップティーズだけでなく、こうした芝居も出来たのだ。
旦那さん(正式な夫婦ではなかったが)でマネージャー兼演出家の正邦乙彦がエノケン劇団の俳優だったこともあり、踊りだけでなく芝居の指導もしていたのだろう。
当時の内外タイムスのストリップ評は、僕もお話を伺ったことのある橋本与志夫さんが書かれていたが、日本観光新聞ではどなたが書いていたのかな。
〈観客もほとんど銀座マンのためか、浅草のような客との応酬もなく女の観客もチラリホラリ〉〈ここのコメディアンでは、水原欣一と森肇が傑作で中でも水原は小柄だが、なかなかのヨタリスト〉との記述が興味深い。〈ヨタリスト〉って、いいな。
松竹が経営していた東劇バーレスクルームの看板は何と言ってもジプシー・ローズで、ここでも写真と共に狂女役のジプシーと医者役の水原とのやりとりの様子が紹介されている。
ジプシー・ローズは、グラインドやバンプを売り物にしたストリップティーズだけでなく、こうした芝居も出来たのだ。
旦那さん(正式な夫婦ではなかったが)でマネージャー兼演出家の正邦乙彦がエノケン劇団の俳優だったこともあり、踊りだけでなく芝居の指導もしていたのだろう。