【西条昇の演芸お宝コレクション】小学6年の時に林家三平師匠に出した年賀状の直筆のご返信
昭和52年の正月、小学6年だった僕が大好きな林家三平(初代)師匠にお出しした年賀状兼ファンレターへの直筆のご返信。
「初日の出 おめでとうございます よろしく御願い申し上ます 賀状ありがとう 林家三平」
僕は小学3年だった昭和48年から、実家に程近い神楽坂の毘沙門天善国寺の半地下の40畳ほどのホールで毎月5日に開催されていた「創作落語会」に三平師匠の高座を楽しみに通い続けていた。
三遊亭圓歌(三代目)、三遊亭金馬(四代目)、桂米丸(四代目)、春風亭柳昇(五代目)、三遊亭円右(三代目)、柳家つばめ(五代目)といった他のレギュラーの師匠たちが噺を毎月変えるのに対し、三平師匠だけは連発する小噺の内容も、「(小噺の後に)今日はこっち側が笑いが少ないんで、こっち側を重点的にやりますから。こっちからこっちは休め!」とか「(途中で入場してくる客がいると)あ、いらっしゃい! 今、いらっしゃるんじゃないかとウワサしてたんすから」とか「西城秀樹くんとかカッコいいすなあ。〝♪やめろと言われても!(『激しい恋』の出だし)〟って歌ったらファンの方が〝ヒデキ!〟って言うんすから。今から私が〝♪やめろと言われても!〟って歌いますから、お客さんは〝三平!〟って言って下さい」といった客イジリも、毎月ほぼ同じだった。でも、そこが面白かったのだ。
いつも畳敷きの会場の最前列の真ん中の座布団に座って観ていた僕のことも、三平師匠は「坊っちゃん、次は仮面ライダーが出ますから! ♪進め〜、ライダー! ガオ~ッ!」などとたびたびイジってくれたし、毎回のように「一番前のお客さんは下がって下さい! ツバが飛びますから!」と言われるので、ある時、座布団ごとスッと下がったら、「あ! 坊っちゃん、ホントに下がっちゃった! だぁ~ん!」と言って高座から転がり落ちていた。
By西条昇(江戸川大学教授、大衆芸能史、喜劇史)
「初日の出 おめでとうございます よろしく御願い申し上ます 賀状ありがとう 林家三平」
僕は小学3年だった昭和48年から、実家に程近い神楽坂の毘沙門天善国寺の半地下の40畳ほどのホールで毎月5日に開催されていた「創作落語会」に三平師匠の高座を楽しみに通い続けていた。
三遊亭圓歌(三代目)、三遊亭金馬(四代目)、桂米丸(四代目)、春風亭柳昇(五代目)、三遊亭円右(三代目)、柳家つばめ(五代目)といった他のレギュラーの師匠たちが噺を毎月変えるのに対し、三平師匠だけは連発する小噺の内容も、「(小噺の後に)今日はこっち側が笑いが少ないんで、こっち側を重点的にやりますから。こっちからこっちは休め!」とか「(途中で入場してくる客がいると)あ、いらっしゃい! 今、いらっしゃるんじゃないかとウワサしてたんすから」とか「西城秀樹くんとかカッコいいすなあ。〝♪やめろと言われても!(『激しい恋』の出だし)〟って歌ったらファンの方が〝ヒデキ!〟って言うんすから。今から私が〝♪やめろと言われても!〟って歌いますから、お客さんは〝三平!〟って言って下さい」といった客イジリも、毎月ほぼ同じだった。でも、そこが面白かったのだ。
いつも畳敷きの会場の最前列の真ん中の座布団に座って観ていた僕のことも、三平師匠は「坊っちゃん、次は仮面ライダーが出ますから! ♪進め〜、ライダー! ガオ~ッ!」などとたびたびイジってくれたし、毎回のように「一番前のお客さんは下がって下さい! ツバが飛びますから!」と言われるので、ある時、座布団ごとスッと下がったら、「あ! 坊っちゃん、ホントに下がっちゃった! だぁ~ん!」と言って高座から転がり落ちていた。
By西条昇(江戸川大学教授、大衆芸能史、喜劇史)
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