【西条昇の昭和ストリップ史研究】早稲田全線座のあった場所とは…
1960年代半ば頃の早稲田全線座でのストリップ「キング・ショウ」「ファンキーショー」「月ナリ子ショウ」のチラシ3種。
早稲田全線座は1933年12月に穴八幡の近くに洋画専門の映画館として開場し、60年代には映画に加えて関西ストリップ(全スト中心)の実演も行われていた。
漫画家の高信太郎さんは当時、ここで「ラッキー7」を結成する前の関武志がストリッパーを相手にしたコントを観たことがあるようだ。
その頃の早大生たちにとっての全線座は、まさにパラダイスのような空間だったに違いない。
ところで、僕は7/6から早稲田大学エクステンションセンター早稲田校で全5回の夏講座〈昭和お笑い芸能史 「コント」とは何か〉を開催しており、昨日7/20も穴八幡宮近くの早稲田大学29号館の教室で講義を行ってきた。
かつて穴八幡宮の向い側に1960年代まで存在したストリップ実演と映画の早稲田全線座跡の写真(2010年頃の物で、当時は自動車販売会社のショールームがあった)を見ているうちに、早稲田大学29号館こそが早稲田全線座のあった場所ではないかと思い、早めに行って確かめてきた。
現在と14年前の写真を比べてみると、どうやら位置的に間違いようで、職員さんに聞いてみると29号館は十年ちょっと前くらいに建てられたようだ。
ストリップショーが上演され、ラッキー7を結成する前の関武志さんがコントを演じていた早稲田全線座のあった場所で講義をしていると思うだけで嬉しくなるし、感慨深い。
早稲田全線座は1933年12月に穴八幡の近くに洋画専門の映画館として開場し、60年代には映画に加えて関西ストリップ(全スト中心)の実演も行われていた。
漫画家の高信太郎さんは当時、ここで「ラッキー7」を結成する前の関武志がストリッパーを相手にしたコントを観たことがあるようだ。
その頃の早大生たちにとっての全線座は、まさにパラダイスのような空間だったに違いない。
ところで、僕は7/6から早稲田大学エクステンションセンター早稲田校で全5回の夏講座〈昭和お笑い芸能史 「コント」とは何か〉を開催しており、昨日7/20も穴八幡宮近くの早稲田大学29号館の教室で講義を行ってきた。
かつて穴八幡宮の向い側に1960年代まで存在したストリップ実演と映画の早稲田全線座跡の写真(2010年頃の物で、当時は自動車販売会社のショールームがあった)を見ているうちに、早稲田大学29号館こそが早稲田全線座のあった場所ではないかと思い、早めに行って確かめてきた。
現在と14年前の写真を比べてみると、どうやら位置的に間違いようで、職員さんに聞いてみると29号館は十年ちょっと前くらいに建てられたようだ。
ストリップショーが上演され、ラッキー7を結成する前の関武志さんがコントを演じていた早稲田全線座のあった場所で講義をしていると思うだけで嬉しくなるし、感慨深い。
コメント 0