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【西条昇の浅草演芸史コレクション】昭和20年代半ばの浅草 末廣亭のプログラム

2019-01-26T21:20:54.jpg2019-01-26T21:20:54.jpg手元にある、昭和20年代半ば頃の浅草 末廣亭のプログラム。
席亭の北村銀太郎が昭和21年に新宿 末廣亭を再建したのに続き、現在の国際通りの三平ストアの場所にあったストリップ劇場の浅草小劇場(浅草ショウ劇場)の階上に落語色物定席として開場。
浅草の寄席としては昭和39年に浅草フランス座跡に開場し、同46年に階下の東洋劇場跡に開場した浅草演芸ホールが有名だが、落語中心の浅草六区の定席は戦前の江戸館といい、橘館といい、長く定着しなかった。
浅草の末廣亭は新宿などと同様、十日ごとに落語協会と日本芸術協会(現在の落語芸術協会)の興行が交互に行われており、これは落語協会の興行の時の物だ。
昼の部と夜の部の主任を共に桂文楽が務め、他に昼の部には林家照蔵(のちの春風亭柳朝)、三遊亭小円朝、林家正蔵(のちの彦六)、柳家小さん、アダチ龍光、夜の部に林家三平、金原亭馬生、三遊亭歌奴(のちの圓歌)、浪曲の東武蔵、鈴々舎馬風らが出演している。
正蔵の襲名が昭和25年4月、小さんの襲名が同年9月だから、これはその年か翌年の物か。
しかし、間もなく浅草 末廣亭は閉館し、ストリップ劇場のロマンス座となり、階下も階上もストリップ劇場となったが、どちらも長くは続かなかった。

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