【西条昇の上方喜劇史コレクション】昭和23年の道頓堀・中座での曽我廼家五郎劇団の公演プログラム [喜劇]
手元にある、昭和23年(1948)7月の道頓堀・中座での曽我廼家五郎劇団の納涼興行プログラム「檜舞台」第一巻第八號。
この時、咽頭癌で声の出なかった〈上方喜劇の祖〉曽我廼家五郎は補導という役割になり、松竹家庭劇の座長格の曽我廼家十吾が助っ人として加入。
五郎劇団の座員には曽我廼家明蝶、五郎八、大磯、桃蝶、鶴蝶ら。
五郎が同年11月に死去すると、12月には、明蝶や五郎八らの五郎劇団、十吾率いる松竹家庭劇、その家庭劇から別れて劇団すいとほーむを旗揚げしていた渋谷天外(二代目)、浪花千栄子、藤山寛美らが大合同して、松竹新喜劇が結成された。
この時、咽頭癌で声の出なかった〈上方喜劇の祖〉曽我廼家五郎は補導という役割になり、松竹家庭劇の座長格の曽我廼家十吾が助っ人として加入。
五郎劇団の座員には曽我廼家明蝶、五郎八、大磯、桃蝶、鶴蝶ら。
五郎が同年11月に死去すると、12月には、明蝶や五郎八らの五郎劇団、十吾率いる松竹家庭劇、その家庭劇から別れて劇団すいとほーむを旗揚げしていた渋谷天外(二代目)、浪花千栄子、藤山寛美らが大合同して、松竹新喜劇が結成された。
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