【西条昇の浅草レヴュー史コレクション】昭和4年の第1次カジノフォーリーの第2回公演プログラム [軽演劇]
手元にある、昭和4年(1929)7月23日からの浅草・水族館での第一次カジノフォーリーによる第二回公演のプログラム。
旗揚げは同年7月10日。
浅草オペラ衰退後は映画俳優を目指すも上手く行かずに実家の麻布の煎餅屋を手伝っていたエノケンが座長格の石田守衛に誘われて参加している。
エノケンはナンセンススケッチやレヴューで笑わせたものの、客足は伸びずに、わずか二ヶ月で解散。
10月26日から今度はエノケンを座長格とした第二次カジノフォーリーがスタートし、梅園龍子、山路照子、三条綾子など当時10代半ば過ぎくらいのダンシング・ガールズも新たに加わった。
同年12月12日から朝日新聞紙上で連載開始された川端康成の「浅草紅団」の中でカジノフォーリーのことが取り上げられ、一躍、有名に。
翌年6月にはエノケンが脱退して観音劇場で新カジノフォーリーを旗揚げ。その後は玉木座、オペラ館を経て松竹入りし、当時の浅草一の大劇場であった松竹座を根城に浅草を代表する喜劇王として活躍する。
この公演プログラムは演博こと早稲田大学演劇博物館にも保管されておらず、非常に貴重なものと言えるだろう。
もっとも、僕のコレクションは演博に無いものが多いのだが。
旗揚げは同年7月10日。
浅草オペラ衰退後は映画俳優を目指すも上手く行かずに実家の麻布の煎餅屋を手伝っていたエノケンが座長格の石田守衛に誘われて参加している。
エノケンはナンセンススケッチやレヴューで笑わせたものの、客足は伸びずに、わずか二ヶ月で解散。
10月26日から今度はエノケンを座長格とした第二次カジノフォーリーがスタートし、梅園龍子、山路照子、三条綾子など当時10代半ば過ぎくらいのダンシング・ガールズも新たに加わった。
同年12月12日から朝日新聞紙上で連載開始された川端康成の「浅草紅団」の中でカジノフォーリーのことが取り上げられ、一躍、有名に。
翌年6月にはエノケンが脱退して観音劇場で新カジノフォーリーを旗揚げ。その後は玉木座、オペラ館を経て松竹入りし、当時の浅草一の大劇場であった松竹座を根城に浅草を代表する喜劇王として活躍する。
この公演プログラムは演博こと早稲田大学演劇博物館にも保管されておらず、非常に貴重なものと言えるだろう。
もっとも、僕のコレクションは演博に無いものが多いのだが。
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