【西条昇の昭和芸能史研究】〝久世ドラマ〟の芸映のタレント率の高さについて [テレビ]
西城秀樹さんへの追悼記事を書くために、TBSドラマ「寺内貫太郎一家」について調べていたら、あることに改めて気がついた。
主要出演者の中で、西城秀樹、浅田美代子、左とん平、篠ひろ子(当時は篠ヒロコ)が、いずれもプロダクション「芸映」の所属タレントだったのだ。
また、岩さん役の伴淳三郎も、もともと伴の東京事務所が芸映の前身であり、芸映の二代目社長を務めてから昭和41年に退社するなど、同社との深い所縁があった。
〝芸映率〟の高さは「寺内貫太郎一家」のみならず、久世光彦が演出やプロデュースを務めた「時間ですよ」シリーズや「ムー」シリーズも同様で、先に挙げた人たちの多くがそれぞれ出演。
「時間ですよ」では浅田美代子が「赤い風船」を、「ムー」ではやはり芸映所属だった岸本加代子が「北風よ」を劇中で歌い、デビューしている。
主要出演者の中で、西城秀樹、浅田美代子、左とん平、篠ひろ子(当時は篠ヒロコ)が、いずれもプロダクション「芸映」の所属タレントだったのだ。
また、岩さん役の伴淳三郎も、もともと伴の東京事務所が芸映の前身であり、芸映の二代目社長を務めてから昭和41年に退社するなど、同社との深い所縁があった。
〝芸映率〟の高さは「寺内貫太郎一家」のみならず、久世光彦が演出やプロデュースを務めた「時間ですよ」シリーズや「ムー」シリーズも同様で、先に挙げた人たちの多くがそれぞれ出演。
「時間ですよ」では浅田美代子が「赤い風船」を、「ムー」ではやはり芸映所属だった岸本加代子が「北風よ」を劇中で歌い、デビューしている。
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