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【西条昇の往年の浅草写真と同じ場所の現在をほぼ同じ角度から撮ってみたシリーズ6】明治30年代の第一共盛館と第二共盛館 [浅草六区]

明治30年代半ば頃の浅草の第一共盛館と第二共盛館の絵葉書と、平成28年(2016)正月の同じ場所の現在の写真。
この時の第一共盛館では青木一座の玉乗を興行中。
青木太夫元に贈られた幟か掲げられ、「娘玉のり」との看板も出ている。
当時は同じ並びの十二階近くにある江川大盛館で、江川一座の玉乗が常打ち中であり、同じ娘玉乗の一座同士での興行合戦が繰り広げられていた。
第一共盛館に隣接した第二共盛館では、中村歌扇らの娘芝居が行われており、江川大盛館に隣接した清明館では、中村美正ら女役者たちによる浪花踊が興行中。
当時の浅草では若い女性たちによるエンターテイメント集団が人気を博していたことが分かる。
やがて第一共盛館は映画常設館の大勝館に、第二共盛館は世界館となり、大正期は曽我廼家五一郎一座が長く興行したが、昭和に入って世界館は大勝館に吸収された。
その後の大勝館から現在のドン・キホーテになる流れは前に書いた。
現在、ドン・キホーテビル7階のアミューズカフェシアターでは女性エンターテイメント集団の虎姫一座による浅草レヴューが常打ち公演中である。一度、虎姫一座が玉乗りに挑戦してくれたら嬉しいな。
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