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【西条昇の浅草文学散歩&食べ歩き】荷風が浅草の「天健」を好んだ理由 [浅草六区]

浅草の伝法院通りから浅草六区通りに入る五差路の角にある天健で、かき揚げ丼を。
プリプリした海老やイカをサクッと揚げた分厚いかき揚げに、甘じょっぱいタレがかかった江戸前天丼である。
天健と書いて「てんたけ」と読む。
永井荷風の断腸亭日乗には、昭和27年から同29年にかけて、荷風が踊り子らと、かなり頻繁に「天武」または「天竹」に行ったことが記されている。
荷風は、観音裏の洋食店の大坂屋を「逢坂屋」と書いたり、花川戸の香取を「香登利」と書いたりしているので、「天武」「天竹」が「天健」のことであるのは間違いないだろう。
昭和の香り漂う店内の妙に居心地の良い座敷に座って、かき揚げ丼を食べていたら、浅草に天ぷらの名店が数ある中でも、荷風が「三定」でも「葵進丸」でも「中清」でも「大黒家」でも向かい側の「天藤」でもなく、この天健を好んだというのが分かる気がした。
浅草のうなぎの店で、「やっ古」でも「色川」でも「初小川」でもなく「つるや」を好んだのと同じ理由だろう。
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