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【西条昇の浅草芸能コレクション】昭和27年の浅草宝塚劇場の開場記念パンフレットと「まるごとにっぽん」の開場について [浅草六区]

先週12月17日は、阪急阪神東宝グループの東京楽天地が浅草六区に「まるごとにっぽん」をオープンさせて話題を呼んだが、昭和27年(1952)9月にも同じ東京楽天地が瓢箪池を埋め立てた同じ場所に浅草宝塚劇場と宝塚地下劇場をオープンさせ、宝塚歌劇団の公演で開場披露を行ったことで話題を呼んでいる。
もともと浅草六区には松竹系の劇場が多く、東宝は浅草に対抗して曰比谷の劇場街や錦糸町の江東楽天地を作り、戦前にも浅草六区に東宝小劇場を作ったり、吉本が浅草六区に作った東京花月劇場で東宝映画を公開したりしていたが、本格的な浅草六区進出は、この昭和27年からだったと言っていいだろう。
浅草寺が戦災で焼けた本堂の復興資金を作るために、浅草六区の瓢箪池の半分、約1,000坪を東京楽天地に売却したのが始まりだった。
浅草宝塚劇場と宝塚地下劇場の開場記念のパンフレットには、宝塚歌劇や東宝の創設者である小林一三が「浅草の夢」と題した文章を載せている。
そこには、第二計画として浅草宝塚劇場の隣りに大劇場を作り、そこから国民劇を生み出したいといった主旨のことが記されていた。
当時、すぐ近くにあった松竹歌劇団の本拠地である国際劇場を意識しての計画だったのではないか。
しかし、結果的に大劇場は作られず、浅草宝塚劇場の隣りには昭和29年(1954)4月に浅草楽天地スポーツランドが開場している。
やがて、浅草宝塚劇場は昭和39年(1964)10月「浅草東宝会館」となって「浅草東宝」「浅草スカラ座」「浅草宝塚」「浅草テンプル」が入り、浅草楽天地スポーツランドは昭和44年(1969)7月に「楽天地浅草ボウル」となって、長らく浅草のアミューズメントの中心として多くの人々に愛されてきたが、ビルの老朽化が進んだことで、今回の再開発につながったわけだ。
今後の「まるごとにっぽん」に注目していきたい。
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