【西条昇の浅草芸能散歩】浅草田島町芸人横丁を探索 [浅草六区]
昭和10年代 浅草田島町芸人横丁の地図を片手に、現在の西浅草、旧・田島町を探索。
高見順が昭和13年春から3階の部屋を借りて、浅草を舞台とした小説「如何なる星の下に」の想を練った五一郎アパートは、八幡神社の道を挟んだ向かいの一角にあったとされる。
かつて店内に永井荷風の色紙が飾られ、高見順の行き付けだったという焼鳥屋のつたや(蔦屋)は、合羽橋通りのどぜう飯田屋の並びにあり、戦災で焼けた後は復活しなかった。
昭和15年8月に、広沢虎造の興行権のトラブルから山口組の二代目組長の山口登が籠寅組の刺客に刺された浪花家芸能社は、現在の中華料理の十八番の並びにあった。
帰りに、合羽橋通りのハラ薬局に寄り、原えつおさんから、この周辺の話を聞いた。
戦前の浅草・田島町にお詳しい方いらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示ください。
高見順が昭和13年春から3階の部屋を借りて、浅草を舞台とした小説「如何なる星の下に」の想を練った五一郎アパートは、八幡神社の道を挟んだ向かいの一角にあったとされる。
かつて店内に永井荷風の色紙が飾られ、高見順の行き付けだったという焼鳥屋のつたや(蔦屋)は、合羽橋通りのどぜう飯田屋の並びにあり、戦災で焼けた後は復活しなかった。
昭和15年8月に、広沢虎造の興行権のトラブルから山口組の二代目組長の山口登が籠寅組の刺客に刺された浪花家芸能社は、現在の中華料理の十八番の並びにあった。
帰りに、合羽橋通りのハラ薬局に寄り、原えつおさんから、この周辺の話を聞いた。
戦前の浅草・田島町にお詳しい方いらっしゃいましたら、ぜひ、ご教示ください。
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