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【西条昇のアイドル論4】70年代・女性アイドル歌手の成立と展開 [アイドル]

今週水曜の江戸川大学マスコミ学科「アイドル論」4回目の講義のテーマは「70年代・女性アイドル歌手の成立と展開」。
女性アイドル歌手の源流には、60年代半ばに欧米のポップスを日本語の歌詞で歌った、ミコちゃんこと弘田三枝子、加代ちゃんこと森山加代子、初代「コメットさん」九重佑三子、渡辺プロのスパーク三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)ら当時10代の女性歌手たちの存在がある。
66年に「こまっちゃうナ」でデビューした当時15歳の山本リンダは〈かわいこちゃん歌手〉と言われた。
昭和30年代(1955~1964)で日本映画界の黄金期が終わり、昭和40年代(1965~1974)からテレビ界の黄金期へ。テレビから人気者が続出する時代に。
手の届きそうにない憧れの存在であった映画の美人女優に対し、テレビ時代になると、身近に居そうな可愛さのある女性アイドルが求められ始める。
ドラマ「柔道一直線」(69~)の吉沢京子、「サインはV」(69~)の岡田可愛、「おくさまは18歳」(70~)の岡崎友紀は、いずれも美人タイプというより親近感のある可愛さで、マルベル堂のプロマイド売り上げランキングのトップ争いをするなど、テレビ時代の女性アイドル像の成立に大きな影響を与えた。
71年には、小柳ルミ子が「わたしの城下町」、南沙織が「17才」、天地真理が「水色の恋」でレコードデビュー。〈新・三人娘〉が揃った。当時、小柳ルミ子と天地真理は渡辺プロダクション、南沙織はバーニングプロダクション。
小柳ルミ子は平尾昌晃・作曲「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」など、和のテイストのあるフォーク調の清純派路線。
南沙織は筒美京平・作曲の「17才」「純潔」などのアイドル歌謡曲を歌った。
天地真理は、ドラマ「時間ですよ」で堺正章扮する健ちゃんの部屋から見えるアパートのベランダで白いギターを弾きながら歌う真理ちゃん役で大人気に。このドラマで〈となりの真理ちゃん〉という設定を作り、売り出しに一役買った当時TBSディレクターの久世光彦は、小谷夏のペンネームで天地真理の「ひとりじゃないの」を作詞した。
天地真理は他にも「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」など、大ヒットを連発。「真理ちゃんとデイト」「となりの真理ちゃん」「とび出せ!真理ちゃん」「アタック真理ちゃん」「はばたけ!真理ちゃん」といったパペットと絡む冠バラエティー番組も持ち、大衆性のあるスーパーアイドルとなる。当時の小中学生は皆、真理ちゃんの歌い方の物真似をした。
曲の合間に「○○ちゃん!」というファンの掛け声の入る女性アイドル定番の〈コール〉も天地真理からか。
続いて、麻丘めぐみ「芽ばえ」「女の子なんだもん」「わたしの彼は左きき」「アルプスの少女」、アグネス・チャン「ひなげしの花」「草原の輝き」「ポケットいっぱいの秘密」、浅田美代子「赤い風船」など、女性アイドル歌謡曲が次々にヒット。
僕は小学2、3年の頃から有楽町の日劇や浅草の国際劇場で彼女たちのステージを何度も観ているが、客席のファンたちの熱狂度が凄かったことを覚えている。
71年には、日本テレビの公開オーディション番組「スター誕生!」がスタート。チャンピオン大会でスカウトしたい出場者に、レコード会社や芸能プロダクションの社員が会社名の入った札を揚げるシステム。
番組の構成と審査員を務めた阿久悠は多くのチャンピオンたちの作詞を担当。同じく審査員の都倉俊一、三木たかし、森田公一らが作曲を担当し、番組発のヒットを連発する。
永六輔、青島幸男、阿久悠、秋元康という構成作家から作詞家に転じた系譜がある。
グランドチャンピオンとなった森昌子が「せんせい」で72年に、桜田淳子が「天使も夢みる」で、山口百恵は「としごろ」で73年にデビューし、〈花の中三トリオ〉と呼ばれた。森昌子と山口百恵はホリプロ、桜田淳子はサンミュージック。
少女演歌路線の森昌子に対し、桜田淳子と山口百恵が女性アイドル歌手のトップに。
淳子派か、百恵派か?
明るいイメージの〈動〉の淳子に、少し暗いイメージの〈静〉の百恵。
アイドル雑誌「明星」「平凡」でも二人がトップを飾るように。
淳子は、白い帽子をトレードマークとした「天使は夢みる」以来、「わたしの青い鳥」「黄色いリボン」「はじめての出来事」「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」など、順調にヒットを重ねる。コントにもセンスがあり、「全員集合」での志村けんとの夫婦コント「私ってダメな女ね…」「淳子、幸せ」は定番となった。
一方の百恵は、デビュー曲の「としごろ」がスマッシュ・ヒットとならなかったものの、♪あなたが望むなら私 何をされてもいいわ…の「青い果実」、♪恐くない 恐くないあなたとだったら 何でも出来る…の「禁じられた遊び」、♪あなたに 女の子のいちばん大切なものを あげるわ…の「ひと夏の経験」といった、千家和也・作詞、都倉俊一・作曲の〈青い性〉路線がヒットして、淳子に追いつく。
また、百恵はほとんどの映画やドラマで、のちに結婚する三浦友和と共演。ゴールデンコンビと言われ、ファンのジェラシーを煽ると同時に理想のカップル像を作り上げた。
更に、76年「横須賀ストーリー」、77年「イミテイション・ゴールド」、78年「プレイバックPart2」といった、阿木耀子・作詞、宇崎竜童・作曲による作品で新境地を開き、これらの曲の路線は、のちの三原順子(現・じゅん子)や中森明菜の曲に引き継がれた。
さだまさし・作詞作曲「秋桜」や谷村新司・作詞作曲の「いい日旅立ち」もヒットさせ、それまでのアイドル歌手のイメージの枠を越えた存在に成長。
デビューから21歳で引退するまでの成長と変化の過程をドキュメント的にファンに見せ続けたと言える。
キャンディーズとピンクレディに関しては、女性アイドルユニットの回で詳しく述べることにしたい。
その他の70年代女性アイドルとそのヒット曲としては…。
「青春の坂道」の岡田奈々。
息継ぎ音をあえて強調して歌った風吹ジュンの「愛がはじまる時」。
のちに小泉今日子がカバーした林寛子「素敵なラブリーボーイ」。
資生堂「バスボン」のCMでブレイクし、「恋人試験」がヒットした松本ちえこは、歌詞の中で〈まんまる顔〉〈太い足〉〈まあるいお鼻〉など美人タイプではない特徴をあえて歌うことで話題を呼んだ。
第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン優勝の榊原郁恵「夏のお嬢さん」。健康的な明るさが売り物。
「大人になれば」「ディスコ・ドリーム」の大場久美子は2代目「コメットさん」として大人気に。
石野真子は「狼なんか怖くない」「わたしの首領」「失恋記念日」「プリティー・プリティー」「ジュリーがライバル」などで、70年代後半の正統派アイドルとして活躍。
ヒットはしなかったが、阿久悠・作詞、三木たかし・作曲、久我直子の「ノアノア気分」はアイドル歌謡曲の隠れた名曲であり、近田春夫も絶賛していた。
70年代は、テレビ界全体の視聴率が良かった上に、歌番組に加えて、バラエティー番組にもアイドルが持ち歌を歌える枠があり、レコードも売れていたから、そのアイドルの持ち味を活かした曲作りとドラマ・映画との連動など、純粋なエンタメ性で勝負が出来た時代であり、現在のように大人数のグループアイドルとしてトータルの売り上げを考えたビジネス戦略などは必要がなく、ソロのアイドルが大多数を占めていた。
…などなど。
次回は70年代の男性アイドルを取り上げる予定である。
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