【西条昇の軽演劇コレクション】浅草・常盤座での「笑の王国」第一回公演のパンフレット [軽演劇]
昭和8年4月の浅草・常盤座での「笑の王国」の第一回公演のパンフレットが手元にある。
表紙イラストはミッキーマウスとベティちゃん。ミッキーは日米開戦まで笑の王国のイメージキャラクター的に広告やパンフレット類に使われていた。某国の某遊園地的なやり方だったのだろう。
出演者はトーキー映画のために職を失った弁士たちや松竹・日活の映画スターたちなどによるごった煮的な座組であった。
ピエル・ブリヤント=エノケン一座がエノケンを頂点とした座長芝居になっていたのに対し、笑の王国の初期は出演者それぞれが芝居の約束事にとらわれずに笑いを取りにいくアチャラカを売り物とした。
そういった意味でエノケン一座が松竹新喜劇的とするなら、笑の王国は吉本新喜劇的だったと言えるのかもしれない。
当初は古川ロッパより徳川夢声、大辻司郎、渡邊篤などのほうが一般的な知名度があったが、蓋を開けてみれば、その場その場の状況を巧みに台詞に取り入れて笑いに変えることのできるロッパが中心的存在に。
二年後の昭和10年にロッパが丸の内の東宝に引き抜かれて浅草を去ってからも、笑の王国は昭和18年まで続いたが、戦時体制もあり、初期のアチャラカの魅力は失われていった。
第一回公演に参加していた清川虹子さんには、その頃のお話を伺うことができた。
私、西条昇は浅草六区の劇場のパンフレット類を収集しています。
オペラ館、大都劇場、ロック座、フランス座、凌雲座、帝京座、音羽座、宮戸座、義太夫座、昭和座、万成座、浅草ルナパーク、浅草・楽天地ショウなどのパンフレット類をお持ちの方いらっしゃっいましたら、適価でお譲り頂けたら幸いです。
表紙イラストはミッキーマウスとベティちゃん。ミッキーは日米開戦まで笑の王国のイメージキャラクター的に広告やパンフレット類に使われていた。某国の某遊園地的なやり方だったのだろう。
出演者はトーキー映画のために職を失った弁士たちや松竹・日活の映画スターたちなどによるごった煮的な座組であった。
ピエル・ブリヤント=エノケン一座がエノケンを頂点とした座長芝居になっていたのに対し、笑の王国の初期は出演者それぞれが芝居の約束事にとらわれずに笑いを取りにいくアチャラカを売り物とした。
そういった意味でエノケン一座が松竹新喜劇的とするなら、笑の王国は吉本新喜劇的だったと言えるのかもしれない。
当初は古川ロッパより徳川夢声、大辻司郎、渡邊篤などのほうが一般的な知名度があったが、蓋を開けてみれば、その場その場の状況を巧みに台詞に取り入れて笑いに変えることのできるロッパが中心的存在に。
二年後の昭和10年にロッパが丸の内の東宝に引き抜かれて浅草を去ってからも、笑の王国は昭和18年まで続いたが、戦時体制もあり、初期のアチャラカの魅力は失われていった。
第一回公演に参加していた清川虹子さんには、その頃のお話を伺うことができた。
私、西条昇は浅草六区の劇場のパンフレット類を収集しています。
オペラ館、大都劇場、ロック座、フランス座、凌雲座、帝京座、音羽座、宮戸座、義太夫座、昭和座、万成座、浅草ルナパーク、浅草・楽天地ショウなどのパンフレット類をお持ちの方いらっしゃっいましたら、適価でお譲り頂けたら幸いです。
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