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【西条昇の軽演劇コレクション】浅草・玉木座、プペダンサント(エノケン出演)のパンフレット [軽演劇]

昭和5年10月に旗揚げ僅か二ヶ月で新カジノフオーリーを解散に追い込まれたエノケン(榎本健一)は、同年11月1日に浅草・玉木座で旗揚げした「プペダンサント」に参加する。
ここでのエノケンはジャズ歌手の二村定一と組んだ掛け合いコミックソングを主体としたレヴューと、キビキビとキレの良いドタバタ芸を武器に、その本領を発揮してみせた。
旗揚げ当初は浅草オペラ時代の大物であった清水金太郎・静子夫妻、杉寛、木村時子、沢モリノ、エノケンの師匠の柳田貞一、グロテスク一派の中山呑海、声楽組の淡谷のり子、和田肇など、当時のエノケンにとっては格上の大先輩やライバルが多数在籍する寄り合い所帯だったが、エノケンの勢いの前に退座するか軍門に降る形に。
年が明ける頃には、レヴューでコンビを組む二村定一に、笑いの引立て役としてエノケンの実家の煎餅屋の小僧をしていた如月寛多、それに師匠の柳田貞一も弟子のエノケンを立てる御意見番的な立場に収まり、後の松竹座でのピエルブリヤントに近いエノケン中心の座組みが出来つつあった。

僕の手元にあるプペダンサントのパンフレットは昭和6年2月3月のもので、文芸部にはサトウハチローと菊田一夫、舞台装置に菊谷栄の名前がある。
支配人は昭和6年12月31日にムーランルージュ新宿座を立ち上げる佐々木千里であり、この当時のプペダンサントは出演者のみならず、裏方や表方にも喜劇史・軽演劇史に名を残す才人が揃っていたことになる。

サトウハチローの弟子であった菊田一夫は、昭和5年12月に「阿呆疑士迷々伝」、昭和6年1月に「西遊記」を書き、アチャラカ喜劇作家としての才能を発揮し始めていた。
一方の菊谷栄は、もともと画家を志していたがエノケンと親交を深め、新カジノフオーリーから舞台装置家として参加。文芸部の佐藤文雄の名前を借りて、エノケン十八番となる「最後の伝令」を書くなど、喜劇作家・レヴュー作家に転身しようとしていた。
つまり、この時点では、エノケンにとって最も信頼の出来る二人の「菊さん」が居たことになる。

エノケンは昭和6年11月にプペダンサントを退座し、間もなくオペラ館でピエルブリヤントを旗揚げするが、菊田は玉木座に残り、昭和8年8月に浅草・常盤座で旗揚げされた「笑の王国」に参加する。ここで古川緑波(ロッパ)らを巧みに使ったアチャラカ喜劇の傑作を量産し、昭和11年にはロッパに招かれて「東宝古川緑波一座」に合流。従来のアチャラカ喜劇に加え、「モダン曽我廼家」とも言うべき人情の機微を描きつつ笑わせる新境地を切り拓いている。
菊谷のほうはエノケンに同道し、オペレッタ「リオ・リタ」やレヴュー「民謡六大学」「流行歌六大学」などで、レヴュー作家としての評価を不動のものとするも、昭和12年11月に中国大陸で戦死してしまう。
井上ひさしは「軽演劇の時間」と題する文章の中で、菊谷と共に働いていたフランス座の大道具の親方の「菊谷栄が生きていたら菊田一夫を上回る大物になっていただろう」といった趣旨の発言を紹介している。
僕が思うに、菊田と菊谷は才能の質が異なっており、昭和30年に東宝に演劇担当重役として迎えられ、「放浪記」「がしんたれ」「がめつい奴」などドラマ性の強い作品の作・演出家や日本で初めてブロードウェイ・ミュージカルの上演権を獲得した興行師として東宝に貢献した菊田に対して、菊谷の本領はあくまでレヴュー作家にあった。
菊谷の戦死がなかったら、少なくとも、昭和13年に東宝入りしてからのエノケンの舞台がもっと充実したものになっていたのは間違いないだろう。
それに菊谷が東宝入りしていたら、秦豊吉との接点も生まれた筈である。
昭和26年に秦がプロデュースした帝劇でのコミックオペラ「モルガンお雪」では、作家の菊田の意見が秦とことごとく食い違って結局降板しているが、レヴュー&オペレッタ志向の菊谷なら秦との相性も良かったのではないか。
戦前の日劇ダンシングチームによる男女混合レヴュー、東宝国民劇、戦後の帝都座ショー、帝劇ミュージカルスなどの秦の仕事に菊谷の才能が加わっていたら、日本のレヴュー史や演劇史はまた違ったものになっていたと思う。

現在、西条昇は、戦前の浅草レヴュー・軽演劇のパンフレット・チラシ類の資料や、戦後の浅草フランス座、浅草ロック座、浅草東洋劇場、浅草公園劇場、浅草ロマンス劇場、浅草百万弗劇場、浅草国際セントラル、浅草小劇場(ショウ劇場)、浅草座、カジノ座、美人座、奥山劇場(奥山ミュージック)、大都劇場、スミダ劇場(ピカデリーショウ)、新宿フランス座(新宿ミュージックホール)、新宿セントラル、新宿ニュー内外ミュージック、新宿モダンアート、池袋フランス座、池袋文化劇場、池袋アウ゛ァン座(アバンギャルド)、池袋スカイ劇場、日劇小劇場、銀座コニーバーレスク、東劇バーレスクルーム、江東パリー座、五反田オデオン座、蒲田ミュージックホール、渋谷テアトルSS、渋谷道頓堀劇場、早稲田全線座、川崎セントラル、横浜セントラル、横浜新世界、名古屋の港座、納屋橋中央劇場、富士劇場、カイケイ座(開慶座)、銀映、名古屋ミュージックホール、岐阜セントラル、KBK劇場、真砂座、京都の京極小劇場、富貴、大宮劇場、伏見ミュージック、豊橋の東海劇場、大阪の道頓堀劇場(道劇ミュージック)、温泉劇場(温劇)、弥生座(PBショウ)、泉座、木川劇場、九条OS、ダイコーミュージック、千中ミュージック、尼崎の三和劇場、二光劇場、神戸の新開地劇場、寿座、金沢の立花劇場、岡山文化劇場、広島の廣栄座、徳島のSY松竹、下関の豊前座、熊本の文化劇場、福岡の川丈座(テアトル川丈)、柳橋劇場、西日本劇場などの幕間コントありのストリップ(バーレスク)ショーのパンフレット・チラシ・ポスターを集めています。
これらをお持ちの方いらっしゃっいましたら、ぜひ、適価でお譲り頂けたら幸いです。
コピーをとらせて頂くだけでも構いません。
このblogの左側のバーの西条昇のプロフィール欄に掲載されている西条事務所担当者のメルアドにご連絡下さい。

また、当時のショー・軽演劇に出演されていたコメディアン・女優・踊り子さん、ショー作者、振付師、劇場スタッフの方々のお話もぜひ、伺いたく存じます。
特に西条は、執筆調査のため、浅草の大都劇場やロック座やフランス座や東洋劇場に出演されていた、高杉由美さん、園はるみさん、伊吹まりさん、川口初子さん、津田紅子さん、柳登世さん、べテイ丸山さん、浪路笑さん、ヒロセ元美さん、千代笑子さん、奈良あけみさん、メリー松原さん、グレース松原さん、朝霧幾世(リリー丘)さん、エミー美山さん、一条ゆかり(摩耶ジュリ)さん、三冬マリさん、高原由紀さん、栗田照子さん、浅草待子さん、長谷川あけみさん、炎加世子さん、天津くるみさんといった方々にお話を伺いたく、その消息とご連絡先を探しています。ご存知の方いらっしゃっいましたら、ぜひ、よろしくお願いいたします。

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