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共同通信に執筆した追悼文「タレント 前田武彦さんを悼む」 [お笑い]

先月5日に亡くなられたタレントの前田武彦さんへの追悼文を共同通信に執筆しましたので、ここに載せておきます。


「タレント 前田武彦さんを悼む」 西条昇(お笑い評論家・江戸川大学准教授)

マエタケさんこと前田武彦さんが亡くなられた。
その全盛期を知らない世代の人には、島田紳助のような売れっ子司会者だったといえば、往年の人気のすごさが分かってもらえるだろうか。
高橋圭三、小川宏といった元NHKアナウンサーがスター司会者として君臨していた時代に、しゃべりのテクニックではなく、機転の利いたアドリブや毒舌のつっこみなど、しゃべりの内容の面白さで売れっ子司会者になった初めてのケースがマエタケさんだった。
「夜のヒットスタジオ」で共に司会を務めた芳村真理を「ナマズのおばさん」と呼んだり、共演者やゲスト歌手への即興での〝あだ名つけ〟でも、バラエティー向きの才能を発揮したが、そういった意味では、お笑いタレント有吉弘行の〝あだ名つけ芸〟の元祖ともいえるだろう。
「巨泉・前武ゲバゲバ90分!」がスタートした1969年には僕は5歳だったから、ちょうど物心がついてテレビに夢中になり出したころに、全盛期のマエタケさんを見続けていたことになる。
ドタバタで笑わせるよりも、アメリカの知的なコメディアンのようなたたずまいで、大橋巨泉とクールに丁々発止のやりとりをする姿がとても格好良く思えた。
73年の暮れに公開された映画「男はつらいよ 私の寅さん」では、寅次郎の幼なじみでどこか気の弱い放送作家役を演じたが、毒舌家のイメージとは裏腹にシャイで繊細なマエタケさんらしい味が出ていて僕は大好きだった。
バラエティー・ショー番組の傑作「シャボン玉ホリデー」のスタート時の構成作家であり、テーマソングの作詞も担当していたことは後年になって知った。「♪ダークブルーの空に 光るあの星いくつ 今宵は君と楽しく過ごそう ホリデー ホリデー シャボン玉 シャボン玉ホリデー」という2番の歌詞が、都会的で洒落ていてとりわけ好きである。
構成作家でありながら、自ら書いたコントに登場したのも日本ではマエタケさんが最初ではないか。入れ替わりで同番組の構成作家になり、コントにも出演して人気者となった青島幸男は、当時のマエタケさんを見て「いつかは俺も・・」と思ったそうだ。
タレントとして活動していたころのマエタケさんに、僕が構成をしていた番組に何度か出演していただいた。〝前武が当代人気司会者を斬る!〟という企画の時も「本当は斬られる側に居ないと駄目なんだけどねェ・・」と自虐ネタを飛ばしつつ見事なコメント芸を披露し、収録の合間には大好きだという落語の話をしてくださった。
マエタケさん、お疲れさまでした。

(2011年8月8日~18日くらいにかけて新潟新聞、高知新聞、徳島新聞、北海道新聞、神奈川新聞、日本海新聞など全国各地の新聞に掲載。ちなみに島田紳助引退騒動前の執筆です)
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