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ジャニーズにおける金八先生の功績について [ジャニーズ]

昨日27日にTBSの3年B組金八先生ファイナル~「最後の贈る言葉」を見た。
24日の3年B組金八先生ファイナル直前同窓会スペシャルや、このところウィークデイの午後に再放送していた第1シリーズも見て、金八先生というドラマとジャニーズとの結びつきの強さというか、ジャニーズにおいて金八先生が果たした功績の大きさについて再認識した。
1979年10月スタートの第1シリーズからは生徒役の田原俊彦、野村義男、近藤真彦の3人が「たのきんトリオ」として売り出されて大ブレークし、それぞれソロ・デビューを果たしている。
1979年当時のジャニーズと言えば、その数年前にジャニーさんが手塩にかけてスターに育てた郷ひろみが他事務所に移籍し、人気を誇ったフォーリーブスも解散、その頃までにデビューした豊川誕、JJS、川崎麻世も郷ひろみ級の大ヒットとはならず、言わば低迷期とも言うべき時期にあったのだ。
そうした状況を打開し、ジャニーズ黄金期への道筋をつけたのがたのきんトリオだった。
ドラマ出演で得た人気を歌のヒットに結びつけていくというその後も繰り返された売り出し方の第1号と言ってもいいだろう。
ちなみに第1シリーズには、現在ジャニーズ事務所の副社長で当時は女優の藤島ジュリー景子氏も生徒の越智はるみ役で出演していて、実質メインを務めた第8話「子供の喧嘩に親が」も先日再放送された。
また、金八先生の姉妹編として1981年4月にスタートした2年B組仙八先生には薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和の3人が出演し、その後「シブがき隊」として80年代のジャニーズを支える人気ユニットの一つとなっている。
1980年10月スタートの第2シリーズにはひかる一平が出演し、「青空オンリー・ユー」でデビューしたが、放送中は”腐ったミカン”の直江喜一や竹の子族出身の沖田浩之といったジャニーズ以外のタレントのほうが目立った印象があった。
第3シリーズには長野博(後にV6)や森且行(後にSMAP、現オートレース選手)が出演。その後、第4シリーズ以降はジャニーズから3人ずつ金八トリオとして出演するのが定番となっていく(第8シリーズには4人出演)。
中でも、第5シリーズの風間俊介や第6シリーズの東新良和、第7シリーズの八乙女光は強烈な印象を残している。
昨日の金八ファイナルにも近藤真彦、風間俊介、亀梨和也、増田貴久、加藤成亮、東新良和、八乙女光、薮宏太といったジャニーズ勢、ひかる一平や鮎川太陽などのジャニーズOB が顔を見せていた。
更に金八ファイナルでは実質メインの問題児の生徒役を岡本圭人が務めており、これでHey!Sey!JUMPのメンバーのうち3人が金八に出演したことになる。
その後、同じ先生物のドラマ「ごくせん」シリーズでも松本潤、亀梨和也、赤西仁、高木雄也、玉森裕太といったジャニーズ勢がブレークのキッカケを作ったが、ジャニーズの歴史において金八先生が最も大きな役割を果たしたドラマであることは間違いないだろう。


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