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横澤彪さんの御冥福をお祈りいたします [お笑い]

現在のテレビのお笑いバラエティーの礎を築かれた横澤彪さんが亡くなられたとのこと。
横澤さんは1980年のMANZAIブームの仕掛け人として語られることが多い。
もともとその前年から日曜夜9時枠の花王名人劇場でツービート、星セント・ルイス、B&Bなどを起用してブームの下地を作ったのは澤田隆治さんだったが、横澤さんは素早く対応して漫才をMANZAIと表記し、徹底的に若者世代をターゲットとしたネタ番組を作り上げてみせた。
更にコンビという枠にこだわらずに、合同スタジオコントをさせたり、バラエティー企画の回しをさせたりする中で、才能を発揮した芸人をプッシュし続けた。
MANZAIブームが去ると、ブームを生き抜いたビートたけしや島田紳助、ピン芸の明石家さんま、片岡鶴太郎、山田邦子、ブームとは別の流れにいたタモリや所ジョージ、小堺一機らをメジャーなタレントとして一本立ちさせた。
横澤さんの功績をまとめれば、現在に繋がるお笑いバラエティーの流れを作り、吉本興業に全国展開のきっかけを与え、お笑いの日常化を推し進めたことだろう。
僕は10代後半の頃から様々なライブ会場の客席やロビーで横澤さんのことをお見かけしていたが、21歳の時に初めて直接、横澤さんと挨拶を交わすことができた。当時、僕が組んでいたサイジョーズというお笑い系バンドがフジテレビの深夜番組「冗談画報」に出演させていただいた時のことだ。その時のプロデューサーが横澤さんだった。
その後、25歳くらいの時に構成作家としてフジテレビの「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」に関わっていた頃は横澤さんはレコード会社に社長として出向されていたが、何度か会議などでお見かけした。
32歳で初めての著者「東京コメディアンの逆襲」を出版した際には、当時、吉本興業東京支社長をされていた横澤さんと2時間近く対談させていただき、本の中に収録した。
NHK教育テレビの番組のお笑いをテーマにした回で、横澤さんと上方漫才作家の織田正吉さん、僕の三人で鼎談をさせていただいたこともあった。
お会いした回数は多くはないが、要所要所でお世話になったと思う。
謹んで心より御冥福をお祈りいたします。
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